こんにちは、海馬です
先日、所用があり上京した際に、會津八一(あいづやいち)記念博物館を訪れてきました。新潟が誇る偉大な文人・歌人・書家・教育者であり学者です。以前にもご紹介したことがあるかと思いますが、新潟日報(新聞)の題字「新潟日報」は會津八一が揮毫したもので、新潟県民は毎日のように八一の書を見ているわけです。海馬も子どものころからずっと慣れ親しんできた題字であります。
新潟市内にも、新潟日報社ビル「メディアシップ」の5階に會津八一記念館があります。
八一の詳しい紹介とともに記念館の案内が記されたサイトがありますので、よろしければ、こちらからどうぞ。
さて、今まで欲しい欲しいと思っていた八一の「学規」のレプリカを入手してきました。
手荷物にならないように、今回は絵ハガキを求めました。
「学規」は、大正3年(1914年)に八一が自ら開いていた私塾で門下生たちに示したものだそうです。第一次世界大戦が開戦した年です。その時代背景を考えると、若い門下生たちにかける八一の情熱がひしひしと伝わってきます。
「学規」
一 ふかくこの生を愛すへし
一 かえりみて己を知るへし
一 学芸を以て性を養うへし
一 日々新面目あるへし
秋艸道人
一つ目は、「生」(しょう)、大事にせよという意味らしいです。これは、単純に命を大事にする、長生きするということだけではなく、全身全霊で生活せよとも解釈できます。八一は「余生」ということばを嫌ったそうです。生活に「余り」などない、と。今風にいえば「QOLを大切に」とでも言えましょうか。
二つ目は、字の通り己(自分自身)を知れということになります。この解釈も、単純に自分を振り返れという意味だけでなく、自分自身がいかに無知なのかを知れという、いわゆるソクラテスの「無知の知」のようなニュアンスになるようです。
三つ目は、単に勉強して知識を増やしなさいという意味ではないようです。「性」(しょう)は人間性という意味ではなく、普遍的な「性」そのものを指すようです。たとえば、仏教の般若心経でいう「色即是空」というときの「色」みたいなものでしょうか(これは、海馬の勝手な解釈です)。ひと言でいうと、学問を積んで真理に近づきなさい、とでも言えましょうか。
最後の言葉も解釈が難しいですね。直訳すると、いつも新しい体面・立場でいなさい、ということになります。毎日を無為に過ごさずに、新しいことに挑戦しなさいという意味かと解釈しております。
以上、今年卒業した学科の学生たちに、先日の謝恩会でうまく語れなかった餞のことばとして、改めて八一の「学規」を贈ります