誕生日が嫌いだ
というより、まったく興味がない、と言ったほうがよい
「おそらくみんなが好きであろうもの」に関心がない人がいるのはなぜか?
これが今回、私のもとに集まった連携基礎ゼミメンバー(2年生)が自分たちで決めたテーマであった
ディズニー、ジブリ、キムタク、クリスマス、カレーライス、スポーツ・・・・・・
「誕生日」も考察の対象になった
冒頭のように、私は本当に誕生日に興味がない
でも、これを言うと多くの人が冷やかな目で私を見るので、いつもは祝われるがままに感情をまかせている
だから今回、自分の意見を聞いてもらえる場が、はじめて公に提供されたような気がして、心底うれしかった
私は私なりに、彼らの議論の邪魔にならないように、誕生日に関心がない理由をいくつか述べてみた
「サプライズがめんどくさい」
ある学生が即座に「わかるー」と同意してくれた
サプライズしようとしてくれているのは、事前にみんなの雰囲気でわかっちゃう
でも、気づかないようにしていないといけなくて、
そして、当日にサプライズされると、「あー、やっぱり」と思いながらも驚いているふりをしなくちゃいけなくて、めんどくさい、と
今まで私が誕生祝にモヤモヤ感じていたことを、この学生が明確にズバッと言語化してくれた
あっぱれ!!
「おめでとうメールの返信がめんどくさい」
これにも他の学生が同意してくれた
「メールの返信、めんどくさいよなー」
返信がめんどくさい、と思っても許されるのだ、と、この学生になぐさめられた気がした
もちろん、マジョリティーの意見もおもしろかった
私はほとんどがマイノリティーなので、
「なるほど、社会はそう思って暮らしているのか」、ふむふむ、と思うことがたくさんあった
一人ひとりの一つひとつの意見が、宝石のようにキラキラ輝いていた
彼らは議論の中で、時々、「日本人っぽーい」と口にした
日本人が日本人に向かって「日本人っぽーい」と言う
その光景が愉快だった
今回の彼らのテーマ、まさに「価値観の多様性」である
この世は価値観の多様性に満ちている
でも、そのすべてを受け入れることは難しい
私たちは、マジョリティーを暗黙に受け入れながら、まわりに合わせて暮らしている
狭く、苦しく
少なくとも、今回の連携基礎ゼミの話し合いにタブーはなかった
右へならえ、の意見ではないものを素朴に出し合い、認め合っていた
これができたのは、彼らが目指した方向がひとつだったからだろう
「どーせだったら、楽しいことやろーぜ」
真剣に議論し、真面目に考え、その先が「楽しいこと」なんて、すごい
彼らの作る未来はきっと明るい
楽しみだ